彼のメールの返事には次のように書いた。
心の支えはたくさんあったほうがいい、と。

私は拠りどころとするものは多ければ多いほどいいと思っている。
確かに、これが私のすべて、と言えるようなものがあるのは
美しいかもしれない。
でも、危険も大きい。

そのひとつを失ったときには立ち直るのが難しくなる。
アスペルガーであればなおさらだ。
拠りどころがいくつもあれば、ひとつを失ってもほかのものは残っている。
ひとつで煮詰まっても、別のところで気分転換を図れる。
ひとつの人間関係でつまづいても、ほかの人間関係で救われることもある。

拠りどころとなるものはなんだっていい。人じゃなくたって。
近所のネコだっていい。
散歩の途中で見かける草木でもいい。
そうしたものがひとつでも多くあれば、なんとか心は保っていられる。

そして、彼へのメールにはもうひとつ付け加えた。
瞑想修行に夢中になるのもいいけれど、
身近にいる人に寂しい思いはさせないようにしてください、と。
まだ若く見えるけれど、結婚指輪をしているのに気づいていたから。
拠りどころがなくなるなんて、奥さん聞いたら悲しむぞ。

最終回の当日、長いこと参加してくれた人たちに
何かお礼を、と思ってパンを焼いたのだけれど見事に失敗。
それで急遽、手作りの味噌をジップロックに詰めて渡した
(味噌あげるっていうのは変わってるかもしれないけど)。

件の彼からまたメールがあり、
アドバイス、大変参考になりました、ということと、
味噌が美味しかったので売っているならわけてほしい、とあった
(よっぽど、ろくな味噌を食べていなかったのだろう)。

それで、味噌は結構簡単に作れて、手作りならとても美味しいことと
味噌の作り方を教えてあげた。
家族で作るといい年中行事になりますよ、とも。

今頃彼は、家族と一緒に作った味噌を毎日食べているだろうか。
そうであってほしいな、と思う。

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数年前まで月に1回、公民館を借りて瞑想会を開いていたことがあった。

なかなかに大変な瞑想法なので、最初のうちはサボりがちだから
みんなで集まって指導テープを聞きながら
一緒に瞑想しましょうというものだった。
私もその瞑想法のコースを最初に受けたのはうんと昔でありながら、
日常で実践するにはかなりの時間がかかったので、
そうしたグループ瞑想会に参加させてもらった。
独りで瞑想することはできるようになったので、
今度は私がお手伝いする番だと、そういうものを開くようになった。

かれこれ4年くらい続けただろうか。
多い時で7,8人、誰も来ないときも1度あった
(「一人で借りられると困るんですけどね」と公民館の人には
嫌味を言われた)。

その中に、2年目くらいから、ほぼ毎月参加してくれた若い男性がいた。

毎回来てくれるので、コミュニケーションを図ろうかと
話しかけてみるのだけれど、どうも反応に乏しい。
どうやらお仲間らしい。

そういえば、類は友を呼ぶ、とかなんとかで、
私の開く瞑想会にはそうした人が多かった。
こちらからは必要最小限しか話しかけなかったし、
親しい人が来れば終わった後に一緒にご飯を食べたりはしていたけれど、
みんなが和気あいあいとしているような雰囲気はまったくなかった。
だから、そういう人たちは来やすかったのだと思う。
初めて参加してくれた知り合いには
「この瞑想会、おもしろーい。みんな終わると逃げるように帰っていくよね」
と言われた(それはそれでちょっと寂しかったんだけれども)。

その後、いろいろと思うことがあり、瞑想会をやめることにした。
最後の瞑想会のお知らせをこれまでの参加者にメールしたところ、
件の男性からメールがあった。

普段の無口さとは裏腹に、ずいぶんと長いメールで、
瞑想会が亡くなってしまうことを非常に残念がっていて
「心の支えだったのに」とあった。

そうまで言われてしまうと、やめることに対してむくむくと
罪悪感がこみ上げてきて、やっぱり続けるべきなんじゃないだろうかと
考え始めた。

私自身も、月1回であっても参加する瞑想会を
心の支えにしていた時期があった。
アスペルガーであれば、社会の中で生きていて、
やりきれなくなることはいっぱいある。
周りのみんなは上手くやっていて、
自分だけが馬鹿みたいに思えることもある。
そんなときに瞑想会に参加すると、
真摯に自分と向き合おうとする人たちがいて、
救われた気持ちになったものだった。
交流はごく薄いものであっても、そういう人たちの存在に救われた。

だから、彼の気持ちはわかる。
でも、やめようという私の決心は固かった。

(続く)

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先日、ようやくメディカルハーブの試験が終わり(出来は不明)、
それと同時に陶芸教室の発表会も終わった。

何しろ生徒の人数が少ないので、出たくないと言うわけにもいかない。
作った作品を何とかかき集めて、出してみた。
販売会でもあるので、値段を付ければ買ってくださる奇特な方もいる。

初日の準備だけ手伝いに行って、
あとは終了してから打ち上げだけ顔を出しに行った。
参加費と打ち上げ代をカバーできるくらいは売れてくれたらしい。ほっ。

別に陶芸家になりたくてやっているわけではないし、
出来上がったものは独りでは使い切れないので、
さっさと人にあげてしまったり(相手が喜んでいるかどうかは不明)
安い値段を付けて発表会で売ったりする。
台所の棚に眠っているより、どこかの誰かが可愛がってくれるほうがいい。

出来の良くない子どもたちだけれど、今頃、それぞれのお宅で
可愛がってもらってるのかなあ、なんて、想いをはせる。


お皿

お皿。

陶芸発表会

蓋がうねうねに反ってしまったので絵を描いて誤魔化した小物入れ。
どこぞのおばさまが「梅干しでも入れようかしら」と買っていってくださった。

セットで買っていってほしかったのに1つだけ売れ残ってしまったカップ。

1つ2時間近くかけて透かし彫りをしたのに、
6つのうち4つが壊れてしまったロウソクたて。
ちなみに生き残った2つも焼成のときに底にヒビが入ってしまった。
ロウソクをつけると透かし模様がきれいに壁に広がるはずが、
何だかいまいちぼやけてしまう。研究の余地あり。
でも、2つとも売れてくれた。何しろ、お安くしたし。

お皿は何枚か売れ残った。欲しい人は声掛けてね。

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結婚といえば、御年104歳になる篠田桃紅さんは
自分は結婚して家庭に入ってやっていける人間ではないと
早々に己の性分を見極めて、得意だった書道で身を立てる決心をしたのだそう。

現在104歳といえば、大正生まれなのだから、
あの時代に女性が嫁がずに自力で生きていく決意をしたというのは
並大抵のことではない。
「絶対に結婚すること」という父親の遺言(すごい遺言だよね)にも従わず、
独身を貫いてきた。

テレビでドキュメンタリーを観たことがあるけれど、しゃんとしていて、
いかにも意志が強そうな人だという印象を受けたけれど、
自伝の『桃紅百年』を読んでみたら、意外とのほほんとしていて、
のんびりした感じだった。
そのマイペースさが長生きの秘訣なのかもしれない。

天才というのは、己の性分を早々に見極められる人のことなのかも。

天才には程遠い私は、なかなかにあきらめが悪いけれど、
このあきらめの悪さも性分と思ってあきらめるしかないか。


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呪いといえば、思い出した。

30代の一時期、よく既婚の友人から
「早くいい人を見つけて幸せになってほしい」
というようなことを言われたけれど、
いつも呪いにかけられたような気分になったものだった。

別に深い意味はなく、ただ単に、言葉通りに受け取るべき
ものなのだろうけれど、
そうはわかりながらも、脳の配線に問題があって
言葉の受け取り方が少々おかしい私には、
「いい人を見つけて結婚しない限り、あなたはそのままでは幸せにはなれない」
と言われているように聞こえて、
「ううっ、また呪いをかけられてしまった」と思ったものだった。
親や親戚からも結婚していないことでダメ人間の烙印を押されていたし。

40代も半ばを過ぎた今となっては、誰にも呪いをかけられることはなくなったし
(それどころか、「結婚しなかったんだ」って勝手に過去形にされる)、
幸せの定義は人によって違うとわかっている。

実際のところ、「結婚=幸せ」という図式は古すぎるし、
そもそも成り立たない。
結婚=幸せ」ではなくて、「幸せな結婚=幸せ」
「不幸な結婚=不幸」なのではないのか。
結婚が幸せなものになるかどうかは当事者次第で、
結婚すれば無条件に幸せになれるわけではない。


昔、父親に「離婚してもいいから一度くらい結婚しろ」
と言われたことがあった。

以前、工場のラインの仕事をしたことがある。
業務用インクジェットプリンターのヘッドの最後の検査工程を担当していた。
検査で落ちたヘッドは「NG品」となるのだけれど、
ギリギリで検査に落ちてしまうものもあって、
そういったヘッドを、技術者にもう一度測ってくれと頼まれることがあった。

確かに、何度も測れば一度くらいはギリギリ合格することもある。
そうしたものを出荷していいのかというのは大いに疑問だけれど、
出荷数が足りず、どうしても間に合わせたいらしい。
一度出荷に出したものの、質が悪くて返品されてきたものは
「出戻り品」と呼ばれていた。

離婚してもいいから一度くらい結婚しろ」というのは
それと同じことかなという気がした。
「NG品」より「出戻り品」の方がマシなのだろう。
要は、娘の幸せより世間体が大事なのだ。

いわゆる「早くいい人見つけて幸せになってほしい」というのも、
結婚という「世間並み」が幸せという考えに基づいてるのかもしれない。


面白いことに、当時、私に呪いをかけた友人たちは
今ではほとんどが離婚している。

離婚をせずに長く結婚生活を続けている友人は
結婚生活は必ずしもいいことばかりではないことを
重々承知したうえで結婚生活を続けているから、
次のように言ってくれる。
「独りでいるのも、またよいよね」と。


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プロフィール

Chandni

Author:Chandni
十数年前に確定診断を受けたアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)当事者です。当事者として、これまでの道のり、工夫していること、日々感じていること、取り組んでいること、その他いろいろ書いています。アスペルガー特有の変わった考え方や生き方の一例として、多少なりとも参考になれば、と思います。

長いこと変わった民族楽器に取り組んでいます。職業はフリーランスの医薬系実務翻訳者。現在、メディカルハーブとタロットを本格的に学んでいます。

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