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心の支えのリスク分散

数年前まで月に1回、公民館を借りて瞑想会を開いていたことがあった。

なかなかに大変な瞑想法なので、最初のうちはサボりがちだから
みんなで集まって指導テープを聞きながら
一緒に瞑想しましょうというものだった。
私もその瞑想法のコースを最初に受けたのはうんと昔でありながら、
日常で実践するにはかなりの時間がかかったので、
そうしたグループ瞑想会に参加させてもらった。
独りで瞑想することはできるようになったので、
今度は私がお手伝いする番だと、そういうものを開くようになった。

かれこれ4年くらい続けただろうか。
多い時で7,8人、誰も来ないときも1度あった
(「一人で借りられると困るんですけどね」と公民館の人には
嫌味を言われた)。

その中に、2年目くらいから、ほぼ毎月参加してくれた若い男性がいた。

毎回来てくれるので、コミュニケーションを図ろうかと
話しかけてみるのだけれど、どうも反応に乏しい。
どうやらお仲間らしい。

そういえば、類は友を呼ぶ、とかなんとかで、
私の開く瞑想会にはそうした人が多かった。
こちらからは必要最小限しか話しかけなかったし、
親しい人が来れば終わった後に一緒にご飯を食べたりはしていたけれど、
みんなが和気あいあいとしているような雰囲気はまったくなかった。
だから、そういう人たちは来やすかったのだと思う。
初めて参加してくれた知り合いには
「この瞑想会、おもしろーい。みんな終わると逃げるように帰っていくよね」
と言われた(それはそれでちょっと寂しかったんだけれども)。

その後、いろいろと思うことがあり、瞑想会をやめることにした。
最後の瞑想会のお知らせをこれまでの参加者にメールしたところ、
件の男性からメールがあった。

普段の無口さとは裏腹に、ずいぶんと長いメールで、
瞑想会が亡くなってしまうことを非常に残念がっていて
「心の支えだったのに」とあった。

そうまで言われてしまうと、やめることに対してむくむくと
罪悪感がこみ上げてきて、やっぱり続けるべきなんじゃないだろうかと
考え始めた。

私自身も、月1回であっても参加する瞑想会を
心の支えにしていた時期があった。
アスペルガーであれば、社会の中で生きていて、
やりきれなくなることはいっぱいある。
周りのみんなは上手くやっていて、
自分だけが馬鹿みたいに思えることもある。
そんなときに瞑想会に参加すると、
真摯に自分と向き合おうとする人たちがいて、
救われた気持ちになったものだった。
交流はごく薄いものであっても、そういう人たちの存在に救われた。

だから、彼の気持ちはわかる。
でも、やめようという私の決心は固かった。

(続く)

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人生の遅くになってからアスペルガー症候群の問題に
気づいた人に役立つ資料の翻訳はこちら





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プロフィール

Chandni

Author:Chandni
十数年前に確定診断を受けたアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)当事者です。当事者として、これまでの道のり、工夫していること、日々感じていること、取り組んでいること、その他いろいろ書いています。アスペルガー特有の変わった考え方や生き方の一例として、多少なりとも参考になれば、と思います。

長いこと変わった民族楽器に取り組んでいます。職業はフリーランスの医薬系実務翻訳者。現在、メディカルハーブとタロットを本格的に学んでいます。

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